「幼児の英語教育には弊害がある」というけれど【早期教育への批判について】

最近YouTubeで日本のテレビを見てたり、Yahoo Japanで日本のニュースを見てたりすると、「実は子供に早期英語教育を施すのはあまり意味がない」とか、「むしろデメリットの方が大きい」みたいな話を東大卒の人たちがしているのが目に入ってきます。

近年は「自分の子供には英語を話せるようになってほしい。そのためには早いうちから始めた方がいいはず」と考える親が増えてきているようで、このタイミングで「でも東大卒の親たちは逆の事を言っているのです」みたいな事がメディアで流れるというのは、世間の親たちに対して意図的に警鐘を鳴らしているようにも見えます。

その例の東大卒の人たちがなぜ子供の早期英語教育に意味がない、またはむしろマイナスだと考えているのかというと、主に次のような点が理由のようです。

・まだ第一言語の日本語すらもしっかり覚えきっていない段階で英語などの他の言語も一緒に覚えさせようとすると子供の頭は混乱し、どちらも中途半端な習熟度になってしまう。
・別に小さいうちに英語を覚えなくたって、英語は大人になってからでも覚えられるのだから、まずは日本語を覚えさせるのに集中させた方がよい

こういった論調の話を聞いていて、僕は「本当かぁ~?」と違和感を持ったのですね。というのも、僕は現在フィンランドのスウェーデン語圏に住んでおり、周りには幼少期から多言語を覚えて3か国語や4か国語を流暢に使いこなす人が何人も身近にいるし、この事実は東大卒の親の持つ「早期の英語教育は無意味(またはむしろよくない)」、つまり「幼少期に子供を多言語にさらすのはよくない」という考え方と真っ向から食い違うように見えるからです。

で、こういう違和感を持ち始めた時に、ちょっと前にスウェーデン語で読んだとあるオンライン記事の事を思い出しました。記事のタイトルはFödda i Sverige – men för dåliga på svenskaで、日本語に直すと『スウェーデンに生まれたのに…スウェーデン語が苦手』となります。

(※ちなみに、元の記事のリンクはまだ生きてました。一応載せときます。https://www.aftonbladet.se/debatt/a/g5b7B/fodda-i-sverige–men-for-daliga-pa-svenska )

このスウェーデン語の記事がさっきの「早期英語教育は良いか悪いかの話」とどう関係しているのかというと、「幼少期に複数の言語の中で育った子供と、第一言語1つのみで育った子供で学力にどれだけ差が出るのか」という論点です。

この記事では

I databasen SIRIS kan man göra specifika sökningar. Av elever med ”svensk bakgrund” (födda i Sverige och med minst en av föräldrarna födda i Sverige) nådde 83,2 procent upp till kunskapskraven. Av elever med ”utländsk bakgrund” (födda i Sverige med båda föräldrarna födda utomlands) nådde endast 71,4 procent upp till samma krav.

と書かれており、日本語に直すと

「SIRIS(※)のデータによると、(スウェーデンで生まれ、親の少なくともどちらか1人がスウェーデン生まれの)『スウェーデン系』の生徒は学習度到達目標のレベルをクリアしたのが83.2%だったのに対し、(スウェーデンで生まれたものの、親の両方がスウェーデンの外で生まれた)『外国系」の生徒は71.4%の子しか同じレベルに到達できなかった」

という事になります。

※ちなみにSIRISはSkolverkets Internetbaserade Resultat- och kvalitetsInformationsSystemの略であり、「学校での教育活動の質や結果に関する情報を保存するインターネット上のシステム」という意味です。

つまりこれは、家でも学校でもスウェーデン語を話している子供と、学校ではスウェーデン語を話すが家では別の言語を話す子供とでは、学習到達目標に達している子供の割合で約12%の差が出ている、という意味になります。

ほぉ、12%の差がついているわけですか。これだけ見れば、東大卒の人たちの言う「子供が小さいうちにはあんまり複数の言語に触れさせず、第一言語(つまり国語力)の習熟に集中させた方がよい」という考えもあながち間違いでもなさそうな感じもしてきますね。

でもですね~、こんなモンは考え方次第だと思うんですね。だって、12%の差がついているとはいえ、70%以上の子はスウェーデン系の子と同じレベル(またはそれ以上)に達しているわけでしょ?さらには、スウェーデン系の子だって、約17%の子たちは目標水準に到達していないわけじゃないですか。本当に「幼少期に触れている言語が1つか2つ以上か」だけを争点にしていいものなのかどうか。

実際、僕のクラスメイトにはベトナムで生まれて4歳まではベトナム国内でベトナム語で育ち、それ以降はフィンランドのスウェーデン語圏に移住してスウェーデン語で学校教育を受け(その間も家庭ではベトナム語)、フィンランド語も英語も覚え、これら4つの言語全てで大学の授業を受けられるレベルにあるという人もいますし(しかも学校での成績は優秀)、同じような例は他にも何人もいるのです。

それに、スウェーデンでは家庭でスウェーデン語を話していない子の成績が悪い(ように見える)のは、単純に子供の学力の高さだけでなく、学校の課題を親がやってあげられるかどうかも影響している、という指摘もあります。親が2人ともスウェーデン語を話さなければ学校の課題には一切手をつけられませんが、親がスウェーデン語のネイティブだったら宿題を見てあげられますもんね。

まあこんなモン、どっちの数字に注目するかですよね。

GoogleやYahooを「ゴーグル」とか「ヤホー」とかに言い間違えたりするネタで有名なナイツの漫才でも、

「〇〇のドラマ、視聴率32%記録したらしいですよ!これ、すごくないですか?だって68%の人は全く見ちゃいないって事ですよ!」

とか言ってましたしねw

こんな言い方をしたら身も蓋もないかもしれませんが、つまるところ、

「幼少期に1つの言語に集中しようが、複数言語に触れようが、学習内容の飲み込みが速い子は速いし、遅い子は遅い」

という事だと思うのです。(だからといってできない子を落ちこぼれのままほったらかしにすればいいという意味ではもちろんありませんし、サポートが必要な子にはもちろん必要な補助をすべきだと思いますが)

で、日本の子供の早期英語教育の話に戻りますが、こちらも同じく、日本語だけに集中しようが英語と並行して覚えようが、どの道できる子はできるし、できない子はできないのだから、子供が英語が好きで楽しんでいるならば、英語をやらせてあげればよいではありませんか、と単純に思うのです。泳ぐのが好きな子をスイミングスクールに通わせてあげるのと何が違うというのでしょうか。

それをなぜここで、「幼少期から英語を習うと日本語での教育にまで支障をきたすかもしれんぞ」と脅かして、みんなが幼少期の子供に英語を習わせないように仕向けるような事をする必要があるのか?

そんなことより本当に大事なのは、幼少期に日本語だけを覚えていようが、多言語に触れていようが、そんなものには関係なく、勉強で遅れを取っている子がいれば必要なサポートを十分に施して遅れを取り戻すのを手伝ってあげる社会全体の寛容さではないでしょうか?それさえあれば、子供の学力の問題は大抵改善されるはずだと思います。

僕は現在、自分からしてみたら第3言語にあたるスウェーデン語で毎日大学で勉強に励んでいます。一応日本を出る前に英検でいえば準1級相当のスウェーデン語のテストには合格しましたが、僕以外の周りの人は全員スウェーデン語のネイティブたちです。語学力不足のために僕だけ余分に説明が必要な事も少なからずあります。それでも僕が授業になんとかついていけているのは、僕個人の努力のみならず、周囲の他の生徒や先生の理解や寛容さがあってこそです。

今の日本の教育に必要なのは、英語教育を早期に施すか否かの議論ではなく、いかにして落ちこぼれを出さないようにするかを考える事だと、フィンランドで教育を受けているとつくづく思うのです。

 

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