Page 67:英語の音読無意味論…結局は音読以外の部分が重要って話

英語学習(または外国語学習全般)において、日本語で書かれたネット記事やテレビのCMではよく

「音読こそが最強の英語勉強法」
「音読やらない人は英語伸びません」

みたいな事が言われているように思います。

音読っていうと、とりあえず馴染みはありますよね。日本で教育を受けていたら、たぶんどこの学校でも英語の授業では程度の差はあれど音読はやらされたのではないでしょうか?僕も学生時代はやらされましたし、自分が高校で英語の教員をやっていた時も、用意されていた教科書やカリキュラムの都合上やらざるをえない感じだったので仕方なくやっていました。

しかし、生徒だった頃も英語の先生になった後でも、一貫して僕はこう思っていたのですね。

「音読って、こんなモンやってて意味あんのか?」

と。

僕の意見としては、結論から言っちゃうと

「音読はほぼ無意味に近い」

のですが、なぜそう言えるのかを以下にもう少し詳しく書いていこうと思います。

 

《コンテンツ》
・そもそも音読が支持されている理由とは?
・重要なのは音読ではなくそれ以外:発音編
・重要なのは音読ではなくそれ以外:アウトプット編
・重要なのは音読ではなくそれ以外:理解度編
・音読をやっていない英語上級者たち
・まとめ

 

 【そもそも音読が支持されている理由とは?】 

既に上記でも述べたように僕は音読の効果について懐疑的なのですが、まず先に

「なぜ音読が効果のある勉強法として支持されているのか」

の背景について考えてみましょう。

肯定派の音読支持の主な理由は、以下のようなものです。

・音読する事によって正しい発音やリズムが身につく
・インプットとアウトプットが両方行える
・黙読では頭に入らないような内容も音読すれば理解できる

これだけ見ると、なんだか

「やっぱり音読はやんないとダメじゃん?」

とか思えてきそうな感じもしますね。

でも、僕的にはこれらの主張には突っ込みどころがいろいろあります。
以下にもう少し具体的に解説していきますね。

 

 【重要なのは音読ではなくそれ以外:発音編】 

まず、

「音読する事によって正しい発音やリズムが身に付く」

事についてですが、正しい発音を身につけられるかどうかは

「音読をするかどうか」

によって決まるものではなく、

「音を正しく聞き取ってその音を再現できるかどうか」

によって決まるものです。例えば、間違った発音を覚えてしまっている人が音源のない文章をいくら音読した所で、声に出しているのは間違った発音やイントネーションの英語のままなわけですから、間違えた読み方をいくらやっても発音やリズムは上達しません。

逆に言えば、文章を読まなくても「音を正しく聞き取り、自分の口からも同じ正しい音が出せる」のであればそれでいいのであり、その方法は必ずしも音読である必要はない、という事です。

むしろ、本当に徹底的に発音やイントネーションを鍛えたいのなら、音読よりも自分の喋りを録音でもした方がいいと思います。音読では2、3か月前の自分の発音は振り返られないのに対し、録音という客観的なデータなら、後になってからいくらでも見直す事ができるからです。

また、発音やイントネーションの練習というのは、一定以上のレベルまで上達させたらそれ以上やってもあまり意味はありません。語彙力なら1万単語を2万単語、2万単語を3万単語に増やすといった具合に、やろうと思えばどこまででも伸ばし続けられますが、発音やリズムというのは、単純に言ってしまえば

「正しいか間違っているかの2択」
(※より正確に言うと、「間違っている」というよりは「母国語訛りが強すぎる」)

であり、一度できるようになったらそれ以上練習する必要がないからです。発音ができるかできないかは

「自転車に乗れるか乗れないか」

みたいなもので、一度乗れるようになったらそれ以降はしばらく自転車に乗らなくて久しぶりに乗っても乗れるままである、というのと同じようなものです。

従って、「発音を良くしたい」という目的で何時間も音読に費やすようであれば、その数時間は別の練習(発音に特化した練習)に使った方がよっぽど効果的であると思います。

 

 【重要なのは音読ではなくそれ以外:アウトプット編】 

まず、そもそも

「アウトプットとは何か?」

という話なんですけど、アウトプットというのは、

「自分自身から出てきたもの」

であり、

「他人の書いた文章を声に出して読んでるだけ」

のものはアウトプットとは呼ばないと思います。だって、そうでしょ?よく政治家とかが自分の言葉ではなく官僚が予め用意してくれた原稿用紙を棒読みしているだけの状態が

「こんなモンは官僚答弁じゃないか!」

とか批判されたりしますが、これだって「自分の頭で考えた、その人自身のアウトプット」で質問に答えてないから「やる気あんのか」と批判されるわけでしょ?

英語(または外国語学習全般)でも同じように、自分で考えて文章を組み立てて実際に何かを英語で書いたり、英語で誰かと実際に会話したり、そういうものこそをアウトプットと呼ぶのです。

「本当のアウトプットの力」とは、

「事前に全ての文章を暗記していなくても、その場で文を組み立てる事ができる事」

を言います。

例えば、日本人がネイティブ言語である日本語でプレゼンをするとしても、喋る内容を最初から全文原稿に用意してそれを丸暗記はしませんよね?

「キーワードがいくつか書いてある程度のメモ書き」

は事前に用意して全体的な構成は整えておくものの、実際の喋りはその場で組み立てるものでしょう?最初から最後まで全て原稿丸暗記のプレゼンやスピーチは不自然に聞こえますし、実際の会話でもそういう事はしないでしょう。

従って、アウトプット力というのはただ音読をやるから鍛えられるものではなく、音読以外の練習の時間を十分に取り、アウトプット用にプレゼンやスピーチの練習をしたり、自分で考えた文章を書いたり、誰かと喋ったりするから鍛えられるものなのです。

 

 【重要なのは音読ではなくそれ以外:理解度編】 

よく

「声に出さずに読むとわからないが、音読すれば理解度が上がる」
「音読をする事で、長文を読んでいる時に眠くなるのを防げる」

みたいな事が言われますが、これってそもそも

「声に出さずに読むとよくわからないし眠くなるような教材を使っているという事は、教材選びの時点で既に間違っている」

とは考えられませんか?

本当に現在の自分に適した教材を選べているのであれば、黙読でも理解できるはずですし、黙読ができるのならそちらの方が速く読むトレーニングにもつながるので、わざわざスピードの落ちる「声に出す読み方」にする必要はないと思います。

それに、仮に読んでいる文章が現在の自分にとって難しすぎる場合、音読をした所でそれでどれだけ理解力が上がるのかも怪しいものです。

試しに実際にやってみましょうか。

この文章を読んでいる時点で既に「音読ってそんなに効果ないでしょ」と思っている人は別にやるまでもないと思いますが、「音読こそが最強の語学学習法だ!音読をやらない人は伸びない!」とか思っている人にはちょっと以下のエクササイズに取り組んでみる事を提案します。

下にフィンランド語で書かれた例文が3つあります。

例文1は5回
例文2は10回
例文3は20回

それぞれ音読してみてください(やりたければそれ以上やってもいいですよ)。フィンランド語は1つの文字につき発音の仕方は1通りしかない、完全な「ローマ字読み」なので、意味がわからなくてもローマ字の読める人であれば誰でも音読できます(ただしJはローマ字のYの発音)。しかも、フィンランド語は日本人がカタカナ発音しても、英語をカタカナ発音した場合と比べてだいぶ通じやすいとも言われています。

一応、念のためカタカナでフリガナふっときます。

例文1:Ostin todella halvan lentolipun Lappiin. Odotan innolla pääseväni katsomaan revontulia.
オスティン トデッラ ハルヴァン レントリプン ラッピーン。オドタン インノッラ パーセヴァ二 カッツォマーン レヴォントゥリア。

例文2:Uusien sanojen oppiminen mallilauseiden avulla helpottaa sanavaraston laajentamista.
ウーシエン サノイェン オッピミネン マッリラウセイデン アヴッラ ヘルポッター サナヴァラストン ラーイェンタミスタ

例文3:Koska Norjan maaperä ei ole tasainen ja monet alueet olivat menneisyydessä toisistään eristäytyneitä, murteiden erot ovat suuria.
コスカ ノリヤン マーペラ エイ オレ タサイネン ヤ モネト アルエート オリヴァト メンネイスーデッサ トイシスターン エリスタウトゥネイタ、 ムールテイデン エロト オヴァト スーリア。

いかがでしたか?読む前と比べて、音読によって理解度は上がりましたか?例文2は例文1の2倍の10回、例文3はそのさらに2倍の20回繰り返し読んだので、例文1よりも例文2を、例文2よりも例文3の方がよく理解でき、よく記憶に定着しているでしょうか?

んなこたぁないですよね。

フィンランド語の喋れない人からしてみたら、これらの例文はその人にとっては「難しすぎる文」です。つまり、現時点でフィンランド語を全然できない人がこれらの例文でフィンランド語の練習をするとしたら、「難易度的に不適切な、間違った教材選び」をした事になります。

このように、教材選びの時点で間違えている場合、音読をしようが、50回や100回繰り返し読もうが、効果はほぼ無いに等しいです。

「じゃあちゃんと意味のわかるものを選んで音読すればいいじゃないか」

と思われるかもしれませんが、ちゃんと意味のわかる、今の自分にとってちょうどいいレベルのものを選んだら、先ほども述べましたように黙読でもちゃんと頭に内容が入るはずなので、わざわざ音読する意味は?となるのです。

結局の所、ここでも重要なのは

「ちゃんと自分の現状に見合った教材を使って勉強できているかどうか」

であり、

「声に出して読んでいるかどうか」

は学習効果の高さを決める決定的な要因とはなっていないと言えるでしょう。

 

 【音読をやっていない英語上級者たち】 

ちなみに、僕はネイティブ言語の日本語の他に、英語とスウェーデン語とフィンランド語が喋れますが、普段の語学学習において音読は全然やってません。それでもちゃんと語学力は勉強した分だけ伸びています。

他の記事でも既に何回か触れたように、僕は日本にいた頃から独学でスウェーデン語を勉強していて、フィンランドのスウェーデン語圏でスウェーデン語で大学の授業を受けています。

フィンランド語でも、去年の年末にフィンランド本土のトゥルクとヘルシンキを旅行した時に、トゥルクの宿泊先のホステルのオーナー&その娘さんと会話をする機会がありました。普段はスウェーデン語圏に住んでいてフィンランド語を使う機会がないので、こういう時こそチャンスと思い、フィンランド語だけで会話してみた所、

オーナー&娘さん:「オーランド諸島に住んでるなんて珍しい!なんでフィンランドの中でもわざわざオーランドを選んだの?」

僕:「フィンランドの大学では全部英語で授業を受ける事もできるので、留学するなら本当はそっちの方が簡単なんですけど、僕はEU国籍を持たない外国人なので、学費を免除してもらうためには現地語であるフィンランド語かスウェーデン語のどちらかで授業を受けなければならないんです。僕はフィンランド語よりはスウェーデン語の方が喋れるので、『フィンランド国内でスウェーデン語で授業を受けられる大学』という条件で教育機関を探していたら、オーランド諸島に行きついた、というわけです」

みたいな内容の話ができていました。測ってないけど、たぶんあの時30分ぐらいはフィンランド語で喋り続けてたかな?

独学で音読を全然やっていなくても、こういう事は実現可能なのです。

また、これまで英語がかなり上手な日本人たちに勉強法を聞いた事が何度かありましたが、やはり「効いた勉強法」として音読を挙げた人はいませんでした。

例えばIELTSという英語のテストで8.0を記録した日本人がいるのですが、この人は当時仕事で秘書のような仕事をしていてそこで終日英語を使っていたり、同棲中のパートナーが英語のネイティブなので家に帰っても会話は全て英語漬けという環境で自然に鍛えられた、と話しています。

ちなみにIELTSは9.0が満点で、8.0は「ヨーロッパ言語共通参照枠」で「ネイティブ相当」と言われる「C2レベル」というのにあと1歩というレベルです。これは英検1級やTOEIC990点では測定不能なほどのレベルです。握力130㎏ある人が100kgまでしか測れない握力計の針を振り切るようなモンです。英検1級はIELTSで言えば7.0ぐらいに相当するらしく、スピーキングセクションに関しては採点がだいぶ甘いらしいので、その合格ラインはIELTSにして6.5相当もあるかどうか怪しいかもしれません。参考までに、IELTSでは7.0からが「上級」の「C1レベル」と分類されています。

他にも、ハーバードやイェール大学などと並ぶ、「アイビーリーグ系列」の名門大学の1つにコロンビア大学という大学があるのですが、そこの大学院に合格した日本人も、別に音読は特に重要視していないようでした。

あとそういえば、僕は一応TEFL (Teaching English as a Foreign Language)という、英語教授法の資格を持っているのですが、TEFLの勉強してた時も「音読が重要」なんて言ってた先生は1人もいなかったです。

 

 【まとめ】 

はい、ここまで音読は本当に「最強の語学勉強法なのかどうか」について疑問を投げかける内容の文章を書いてきました。

もう一度おさらいすると、一番重要なのは、

・語学学習がうまくいくかどうかは「音読をやっているかどうか」ではなく、「音読以外の部分で良好な語学学習環境を作れているか、また実際にその環境で十分な量の努力ができているかどうか」にかかっている

という事ですね。

僕の意見では、「音読で力が伸びた!」という人も、それは上記における後者の「音読以外の部分」も頑張っていたからであり、恐らくそれがなければ「音読だけ」をやっても大した学習効果はなかったのではなかろうかと思われます。

これってなんか、

「体育会系のうさぎ跳び」

みたいな感じがしなくもないと思えるのは僕だけでしょうか。

昔はうさぎ跳びってみんなやってたから、スポーツで強くなった人の中には「自分が強くなれたのはうさぎ跳びで足腰を鍛えたおかげだ!」と思いこむ人もいるのだけど、実際には強くなれた理由は実戦形式の練習だったり他の筋トレだったり、別の所にあった、みたいな。

ただ、うさぎ跳びは実は足腰に悪いのがわかったから「むしろやらない方がいいトレーニング」としての認識が一般的になったのに対し、音読は別にやったからといってそれ自体は体に悪いわけではないので、やりたい人は別にやっても害はないかなと思います(←音読に時間を割きすぎる事によってそれ以外の練習の時間が極端に少なくなるようであれば話は別ですが)。むしろ、音読をやる事によって「勉強した充実感」が味わえて気分がよくなるのであれば、それはそれでモチベーション上げのツールとしては役に立つのではないかなと。

という事で、もし僕が

「英語の勉強で、音読ってやった方がいいですか?」

と聞かれたら、僕の返事はこうです。

 

「やりたければやればいいし、やりたくなかったらやらなくていいですよ(^^)」

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