もう1か月以上も前ですが、11月の始めにエストニアに旅行に行ってきました。
今回の旅行概要
「エストニア旅行」と書きましたが、これ、一応大学の授業の一環です。オーランド大学のIT科の学部は、2年次の英語の授業には「スタディツアー」というものがカリキュラムに組み込まれており、これはエストニアの大学とのコラボによるプログラムのようです。オーランド大学は普段は授業は全てスウェーデン語で行われるのですが、この授業の間は「英語の授業」という事で話す言語はずっと英語です(←でも現地の学生と違ってスウェーデン語は第3言語である僕としては、第2言語の英語の方がよっぽど楽)。このスタディツアーでオーランド大学の学生を受け入れてくれるエストニアの大学の方も普段はエストニア語なのですが、こちらも一部英語の授業があり、僕らはその授業に参加させてもらう事になったのでした。
ちなみに旅行の費用は大学の負担です。レストランで昼食を取ったりした時は自分で払いましたが、オーランドからエストニア・タリンまでのフェリーのチケット代や、現地滞在中のホテル代などは大学から出ていました。フィンランドは消費税など普段の税金はバカ高いですが、税収が高く、そこから教育に回してもらえる予算も豊富にあるために、普段の授業だけでなくこういった出張も無料で行かせてもらえるのですね。
エストニア・タリン到着
オーランド・マリエハムンとエストニア・タリンの間の移動は行きも帰りも深夜出発のフェリー。早朝には目的地に着きます。
落ち着いた感じの街並み。
最初の見学地に向かう前にホテルにチェックイン。中はこんな感じ。
テレビ塔見学
最初の見学地はテレビ塔。非常に頑強な造りで、データを保存しているサーバーは25000トンものコンクリートで覆われており、仮に爆撃を受けたとしてもビクともしないようになっているのだそうです。
「情報の保護」はどこの国でも重要視される事ですが、エストニアではその意識の高さが一味違います。エストニアは1つの国として独立する前は旧ソ連の一部であり、常に「誰かに支配され続ける」という経験をしてきました。侵略されていた国がいざ独立して自由の身となったら、真っ先に考える事はただ1つ。
「二度と侵略・支配などされたくない。敵国(ロシア)が万が一また攻めてきた時のための対策をしておこう」
です。
旧ソ連時代、エストニア(に相当する地域)はソ連の「IT特区」の役割を果たしていました。そこでソ連が崩壊したので、エストニア国内には独立した時点で既に優秀なIT人材が豊富に集まっていたのです。
エストニアが考えた「ロシアによる再侵略」への対策は、ありとあらゆる情報を電子データ化して、厳重なセキュリティで管理する事でした。IT人材がいたことを最大限に利用してますね。これならもし再び攻め込まれて国土や建物を奪われてしまったとしても、国家の機密情報や個人データまでは盗まれません(そもそも「書類」という形でデータが存在しないのだから)。侵略者の力が弱まり国土を再び取り返した時に、電子化して保存しておいたデータを使えばインフラ再構築の負担が減る、というわけです。
実際、ガイド役をしてくれたこのテレビ塔の職員も他の人も、何かあるたびに「ロシアからこの国(社会)を守る」的な発言をよくしていた印象があります。直接「ロシア」とは口に出さなくても、「ああ、ロシアに対するトラウマがあるんだな」という事が、彼らとのやり取りを通して読み取れてきました。
さて、このテレビ塔、東京スカイツリーのようにエレベーターで上の展望台に登る事もできますが、展望台の外に出る事もできます。もちろん落下事故など起きないように360度金網が張り巡らされていますが、上から見るとやはりなかなかの高さです。
質問コーナーになった時、ふとガイドさんに
「高い所は怖くないですか?」
と聞いた人がいましたが、それに対してガイドさんは
「いやいや、私は別に高所恐怖症ではないですよ。ただ、高い所から落ちるのが怖いだけなんです」(←それを高所恐怖症と呼ぶんだよ)
と、なかなか味のあるエストニアンジョーク(?)で切り返してくれました。
現地の大学の授業に参加
テレビ塔の次に向かった先は、今回のスタディツアーでオーランド大学とコラボしてくれているエストニアの大学。軽く自己紹介アクティビティをした後、それぞれが用意したプレゼンを披露しました。
オーランド大学側の学生はIT科なので、プレゼンの内容は当然ITに関するもの。
僕の発表内容は
「物流におけるAIの活用とその影響」
でした。現地のエストニア人学生たちは物流系の学部と聞いていたので、それに合わせてテーマを選びました。
プレゼンにはそれなりに時間を費やして準備をしたのですが、この後僕はプレゼンとは全く関係ない所でエストニア学生たちの注目を浴びる事となります。
ボウリングナイト
このスタディツアーでは、現地の学生との交流を深めるという目的で「ボウリングナイト」のイベントが用意されているのですが、実はこれ、僕にとっては今大学で勉強中のITよりもよっぽど「専門分野」だったんですねー。
というのも、僕は海外によく出るようになる前まではボウリングの選手で、一応1回だけだけど国体にも出た事があったのでした。
写真は高校時代のもの。個人戦はダメだったのですが、ダブルスはパートナーが自分より優秀な人だったおかげで上位入賞できたという「おんぶにだっこ」パターンです(実際このパートナーは個人戦でも上位入賞してる)。高校当時は大学出た後でプロ入りしようかとも考えてましたが、大学生になってからは教職へと方針転換しました。ちなみに当時のダブルスのパートナーは数年前に実際にプロ入りしており、現在はプロボウラーとして活躍しています。
現役時代は公式試合でのアベレージが200を超えていたとはいえ、もうボウリングを全くやらなくなって10年近く。しかも現役当時はマイボール・マイシューズを使っていたのに対し、今回のボウリングイベントで使用するのは普通のボウリング場貸し出しのいわゆる「ハウスボール・ハウスシューズ」。
普通の人の普通のスコアしか出ないだろーなー、と思っていたのですが、実際に投げてみたところ、
1ゲーム目…157
2ゲーム目…186
でした。
一応2ゲームの合計得点が参加者の中で一番よかったのは僕でしたが、それ以上にインパクトがあったのは、
「僕が曲がるボールを投げていた」
という事でした。
↑ リンクの動画はクラスメイトが隠し撮りしていたもの。
ゲームの途中で現地の学生が2~3人ぐらい僕の所へ寄ってきて、
「どうやったらボールが曲がるんだ?」
とみんなして同じ質問をしてきました。
↑ 曲がるボールの投げ方を聞いてきた内の1人、クリストフ・二メートル君(←仮名。スマン、本名忘れた)。果たしてその成果は…?
ボウリングが終わってその後どっか飲みに行こうとなった時も、道中の路面電車内でも「いつからボウリングやってたの?」とかいろいろ質問攻めに。
「いやー、でももうボウリングは10年近く前に辞めてるからねー。今回のは本当に久しぶりだったよ」
と僕が言うと、一同ちょっと困惑した表情に。
エストニア学生:「え?9歳とか10歳ぐらいでボウリング辞めちゃったの?」
僕:「いやいや、現役だったのは20歳ぐらいまでだよ。僕、今はもう29歳だから」
エストニア学生:「何ー?てっきり俺たちと同い年だと思ってたぞ!」(←彼らのほとんどは19~20歳)
実年齢より約10歳若く見られていた事が発覚しながらボウリングナイトは幕を閉じたのでした。
働くロボット
そういえば、オーランド大学のメンバーでホテルへ戻る道の途中、こんなものを見かけました。
「おぉ、これは一体何なんだ?」
と、一番食いついたのは引率していた先生。道路の反対側にあったというのに、わざわざ道を横断して近くまで見に行くという興味津々ぶり。
途中まで同じ道を歩いていた現地のエストニア人学生によると、これはピザの宅配などを自動で行う
「デリバリーロボット」
だそうです。
ちょうど僕がやったプレゼンでも、
「このままAIが発達していくと人間の仕事が奪われてしまうのではないか」
という疑問について話したのですが、特に金持ちなエリアとかに行かなくても、一般的な道端でこんなに間近にこういうものが見られてしまうとは。エストニアではITの活用がここまで来ているのですね。
エストニア人をビックリさせたり、逆にこっちがビックリさせられたり。いろいろと刺激の多かった旅でした。
それにしてもボウリング、10年近くやってなかった割には思ったほど酷くなかったな。現役復帰しちゃおうかなー?(←あくまで気持ちだけね!)