Page 33:なぜ日本の英語教育は「文法偏重」から脱却できないのか?

以前書いた記事で、

「そもそも日本が英語教育で目指しているのは何なのだろうか?」
「もし目指しているレベルがフィンランド並みの英語力なのだとしたら、学校の教育改革だけでは不十分なのではないか?」

という事を書きました。

( ↓ 詳しくはこちらの記事を参照 ↓ )
Page 27:なぜフィンランド人は英語ペラペラなのか?

上のリンクの記事では、「仮に英語教育改革が成功しても社会に出た時に英語を使う機会がなければ、その教育成果はあまり期待できない」といった趣旨の事を書いてあります。ここで、

「『日本の英語教育は文法偏重だから』改革すべきとかよく言われるけど、教育改革してもそれだけで英語ペラペラにはならないんだったら、別に日本の英語教育は今のままでよくね?」

と思う人もいるかもしれませんが、僕はそれは違うと思います。

 

≪ページコンテンツ≫
・そもそも英語教育は何のためにやっているのか?
・そもそも「文法」とは何のためにあるのか?
・なぜ「文法偏重」のスタイルを変えたくてもできないのか?
・日本の英語教育は今後どうなっていくべきか?

 

【そもそも英語教育は何のためにやっているのか?】

日本の英語教育のスタイルが今のままでよいのか変えるべきなのかは、

「そもそも英語教育を何のためにやっているのか」

を明確にし、今のスタイルのままでその目標が達成されているのかどうかをまず考える必要があります。今のままでも目標達成できているのなら無理にスタイルを変える必要はないし、達成できていないのなら変える必要がある。非常にシンプルな話です。

ではまず、以下に僕の頭にパッと浮かんだ「学校での英語教育の目標」を何種類か挙げてみます。

[A] 実践で英語を使いこなせるようになる事(願わくばフィンランド並みのハイレベルで)
[B] 必ずしも英語力をつける必要はなく、「異文化」に興味を持つきっかけになればそれでよい
[C] すぐに英語ペラペラになるのは無理だが、後にもっと本格的に英語が必要になった時のための土台を学校教育で身につけておく事

A については、過去に書いた記事

Page 27:なぜフィンランド人は英語ペラペラなのか?

でも述べた通り、学校教育単体でそれを実現するのはおそらく非常に困難であり、これを学校での英語教育の目標として定めるのはあまり現実的ではないといってよいでしょう。

また、Bのように語学力が身につかなくても異文化に対する興味や理解が深まればそれでよいのであれば、何もこんなにも英語の授業に時間を費やす必要はないし、むしろ今より英語の授業の時間を削ってもよいかと思われます。その場合、削った分の時間を人前で喋る「パブリックスピーキング」やプレゼンの練習にあてたり、「行動する前に考える癖」や論理的思考能力を身につけるために囲碁や将棋やチェスなどの頭脳ゲームを授業に導入したりする方がよっぽど後々の人生のためになるんじゃないかな~というのが僕の考えです。(あと、そもそも「異文化」って英語を喋る国だけの事じゃないですよね)

さて残るはCですが、実はこれ、今の「文法偏重」の英語教育を擁護する英語科教員がよく使うロジックなんです。

「私たちは別に今の学校での英語教育のやり方で生徒たちが英語ペラペラになるとは思っていないし、そのようにさせるつもりもない。ただ、これから社会に出てもっと英語が必要になり、自分で英語を勉強しなければいけなくなった時、しっかりとした文法、つまり土台が身についていなければ英語はなかなか習得できないものなのだ。だから今のスタイルが『文法偏重』だと世間から批判されようと、変える必要はない。『文法を身につけさせる』という役割は果たしているのだから」

てな感じに彼らは言うのですが、僕はこのような主張は部分的にしか正しくないと思います。

「文法を身につけていた方が後々語学は習得しやすくなる」

のは確かにその通りですが、今の学校教育での英語の勉強の仕方で

「実際に文法が身についているのかどうか」

は別問題だからです。

学校の英語教育、特に高校では、

「”Do you want something to drink?”のto drinkの部分はTo不定詞の名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法のどれにあたるでしょうか?」
「”Japanese people don’t speak English well, which is a well-known fact”の文は、関係代名詞の制限的用法と非制限的用法のどちらでしょうか?」

みたいな問いが延々と続くわけですが、実際このやり方で「文法が身についた!」と自信を持って言える人ってどれぐらいいますかね?

よく「学校で何年も英語を勉強しても英語を喋れるようにはならなかった」という人がいますが、実際にはそれだけでなく、

「英語が喋れるようにはならなかったし、文法すらも身につかなかった

という人がほとんどなのではないでしょうか?

こうしてみると、

C

「学校教育の期間内に英語が喋れるようにはならなくとも、後にもっと本格的に英語が必要になった時のための土台を学校教育で身につけておく」

という目標もロクに達成できていないというのが実情である事がわかります。

今のやり方で目標が達成できていないのであれば、そのやり方は不適切である。従って、本当に目的を達成する気があるのなら、今の学校の英語教育の「文法偏重」は変える必要がある。これが僕の考えです。

 

【そもそも「文法」とは何のためにあるのか?】

よく巷では、

「文法なんかはいらないから、とにかくたくさんコミュニケーションを取ればいい」
「まずは文法を勉強しなければ、コミュニケーションなんか取れない」

などと2つの相反する主張がぶつかり合っていますが、これらはどちらも間違いだと思います。

なぜなら、本来「文法の理解」と「コミュニケーションの練習」は相互に補完関係であり、どちらか片方だけでは語学の上達は成り立たないからです。

「文法」とは、読んで字のごとく「を組み立てる時に従うべき則」です。なので、最初こそ「ある程度は」「テキストで」「理論的に」「お勉強」をする必要があるにしても、本当にそれを「身につける」ためには実際に喋ったり書いたりする作業を通して「体に覚え込ませる」必要があるのです。語学は勉強であると同時に実技でもあるのですから。

そして、どうしたら学習者が英語の文法を「正しく覚えたかどうか」を判断できるか?それはその人に実際に英語で喋らせたり書かせたりすればわかります。逆に、これ以外の方法で文法を理解しているかどうかを判断しようとするのは危険です。学校の英語のテストでよくある穴埋め問題やTOEICのABCDの4択問題では、文法をどれぐらい理解できているのかを本当の意味で測るのには無理があるのです。

実際、これらのテストで高得点を取っていても、実際に喋らせたり書かせたりすると文法間違えまくってたりする人なんてたくさんいるではありませんか。つまりこういうテストで高得点を取っても実践でできるかどうかの保証には全くならんという事です。ならばそもそも何のためにそんなテストを受けなければならんのか?なぜ実践に役立つ勉強よりもそんなテストのための勉強を優先的にしなければならんのか?と疑問に思えてきませんか?

また、文法の勉強と一口に言ってもその方法はいろいろあります。新しく覚えた文法項目を意識して使うようにしながら英語で日記を書くのも「文法の勉強」だし、ネイティブや自分よりも語学力の高い人を相手に英会話をして、自分の英語を修正してもらうのだって「文法の勉強」なのです。(その他いろいろ)

それをなぜ、

「この英文はS + V + O + C型であるからして第5文型であり~…」
「この英文が第5文型である事を頭に入れた上で日本語に訳すと~…」

みたいなやり方ばかりにこだわるのでしょうか?このやり方でなければ文法が覚えられず、これをやってからでなければ喋る練習に時間を費やしてはいけないと本気で信じているのでしょうか?

繰り返しますが、本来「文法の理解」と「コミュニケーションの練習」は表裏一体です。勉強した文法項目をちゃんと頭の中に定着させるには「実際に使う」以外にはなく、より高度なコミュニケーションを成立させるためには、まだ覚えていない文法項目を新たに学習する必要があります。この2つを交互に行うからこそどちらも相乗効果で伸びるのであり、

「喋る練習は文法が完璧になるまでやる必要はない」
「文法はとにかく無視して思いついた事をなんでも口に出してればいい」

とひたすら叫ぶのは、それすなわち外国語学習における「文法」と「コミュニケーション」の上達の本質を理解していない事を意味します。

※※ ただし、自分が既に喋れる言語と学習中の言語の文法が似通っている場合は文法の勉強にあまり力を入れる必要はありません。例えば僕が最初に覚えた外国語は英語であり、英語は日本語と全く似ていないので文法はある程度しっかりと最初に覚えておきました。ですが僕が第3言語として喋るスウェーデン語は文法は僕が既に習得していた英語とかなり似ていたので、既に頭の中に蓄えられていた英語の文法の知識のおかげでそれほどスウェーデン語の文法を気にしなくても喋れるようになりました。一方でフィンランド語は日本語にも英語にもスウェーデン語にも似ていないので、やはりある程度しっかり文法を覚える必要がありました。 ※※

※※ また、子供がまだ幼い内も文法を意識させる必要はありません。子供が言語を覚える時とある程度大人になってから(中学生とか高校生とかの年齢)言語を覚える時では脳の使い方が異なりますし、僕がここで論じているのは「ある程度大人になってからの外国語学習」の事だからです。子供に外国語を覚えさせる時は「理論的に文法を勉強」させるよりも「感覚的にわかる・できる」状態を目指した方がよいです ※※

 

【なぜ「文法偏重」のスタイルを変えたくてもできないのか?】

今の日本の学校の英語教育の「何かがおかしい」と気づいているのはもちろん僕だけではありません。とっくに大勢の人が気づいています。そして教育現場の英語科の教員たちも先述の「英語教育改革否定派」ばかりではありません。

最近の若い教員の中には留学経験のある人も珍しくなく、留学内容もただの語学留学ではなく、TEFLやTESOLなどの本場の「英語教授法理論」の資格を取れるプログラムだったり、英語圏の大学院に行っていたという人もいます。このようなバックグラウンドを持つ若手英語教員は英語教育の現状をなんとかして変えたいと思っている人が多い傾向にあります。

ですが、こういう人たちはいざ日本に帰ってきて教育現場に入ると、結局は保守的な英語教員と同じような「ただ英語を日本語に訳すだけ」の工夫のない授業に終わってしまうケースが少なくありません。なぜそんな事になってしまうのか?実は現場の英語教育改革にはいくつかの障壁が立ちふさがっているのです。

≪障壁その1:長老たちに合わせなければならない≫

基本的に日本の教育現場は年功序列です。どんなレッスンプランを用意していても、そこに年長者の英語科教員にいろいろと注文をつけられたらそれを無視する事はできません。

いろいろと「ありがたいお言葉」をいただき、あんまり言う事を素直に聞きすぎると、いつの間にか自分が留学中に学んだ英語教授理論とは似ても似つかない、旧式の英語教育に逆戻りしていたなんて事にもなりかねません。

年長者の教員の中にももちろん若手教員を尊重してくれる寛容な人はいるのですが、基本的に「これまで通り英文を和訳する授業をやってればいい」というスタイルの人の方が発言力が強く、こういう人たちの言い分が通りやすい傾向があります。

また、自分の授業スタイルに直接口出しをしてこない場合でも、定期テストを作るのが「改革否定派」の先生たちの場合、彼らの大好きな「文法訳読方式」がベースの「本物の英語力とはあまり関係のない、テストのためのテスト問題」が出題される事が予想されます。

そうなると、文法訳読方式からあまりに外れた授業をやると、自分の担当しているクラスだけ英語のテストの「傾向」に対応できずに平均点が落ち、その数字だけを基に「おたくのクラス、成績悪いね~」みたいな烙印を押される事もあります。このように定期テストの事を考えると、あまり自由に自分の裁量で授業を組み立てたくてもできないというのが現実です。

≪障壁その2:まともな教科書はないのか?≫

僕が高校で英語の教員として働き始め、授業で使う教科書を渡された時、真っ先に思ったのが

「アワワワ……((( ゚Д゚)))……こ、この教科書で教えろというのですか……????(滝汗)」

です。

とにかくまともな教科書の少ない事少ない事 _| ̄|○

比較的マシな教科書を使えたクラスの授業ではそこそこ手応えはあったのですが、もらった教科書の中でも最低レベルのやつを使わなければならなかったクラスには本当に申し訳なかった。

そのしょーもない教科書を使わなければならなかったクラスには、すごく勉強熱心でほぼ毎時間質問に来る生徒がいて、教科書のとある部分が何度見てもワケわからないみたいな事を不満気味な表情で言っていました。僕は

「教科書というのはね、とてもよくできているものなのだから、ちゃんと注意して読めばきっとわかるはずだよ。もう一度よく読んでみなさい」

みたいな、教科書を正当化するようなセリフはとても言えなかったし、実際その子が指摘していた教科書の部分は確かに酷かったので、

「たしかにこの教科書は『なぜそこがそうなるのか』の説明もロクに書かれていないし不親切だね。既に英語をよく知っている人じゃなければ読んでもよくわからない説明の仕方で、まだ英語を勉強中の人には極めて分かりにくい。お世辞にもおもしろい内容でもないし、ためになる内容の教科書とも言えない。正直言うと僕もこの教科書はあんまりいいとは思ってないし、この教科書を見て特に得るものがないと感じても、それは君が悪いのではないよ」

と、正直に思った事を言いました。するとその子は、

「そうですよね!何でこんな教科書で勉強しなければいけないのかと心底疑問に思っていました!」

と安心した表情を見せてました。(ちなみにこの子は成績は優秀で、できないから教科書に八つ当たりしていたわけではありません)

このような「しょーもない教科書を使って教えなければならないという制約」があると、「最新の英語教授法」のノウハウを持っていようが、英語を日本語に訳すだけの工夫のない授業スタイルしか知らなかろうが、あまり関係なくなってしまうのです。

※※ NOTE: 日本の学校での教育では、(英語の授業のみならずどの教科でも)国が承認した「検定教科書」という教科書を使わなければいけないというルールになっている(ただし大学は除く)※※

ちなみに、教科書のせいで授業の質が下がるのは僕の授業だけではありませんでした。当時僕が勤めていた高校にはイギリスの大学に英語指導法の研修に行っていた先生がいました。その先生はそこで英語のみを使って指示を出し生徒たちにも英語だけでコミュニケーションを取らせるための指導技術を学んできていたので、ある日その先生の授業を見学させてもらいました。

授業の始めは、教科書は使わずにその先生がイギリスで学んできた事をヒントに作り出したオリジナルのアクティビティを中心にやりました。すると生徒たちは活発に英語でコミュニケーションを取り合い、僕はこの先生の指導技術の高さを感じたのでした。

ところが、この先生が「検定教科書」を使い始めると、急に生徒たちから活気が消えていくのが手に取るようにわかりました。僕が教員の目線で見ても急に授業がつまらなくなった感じがしましたし、実際この辺りを境に何人かの生徒が授業と関係ない事や居眠りをし始めました。

生徒たちは机を合わせて4人1組のグループに分かれていたので、各グループを見て回ったのですが、やはりその時も

「この教科書、生徒に何をさせたいのかよくわからんです」

と教科書に不満を持つ生徒が見られました。

文部科学省は口先では

「旧来の英語教育から方針を切り替え、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングの4技能全てにバランスの取れた授業をすべきである」

とか言っている割には、検定教科書の中身はいまだに昔ながらの「文法訳読方式」で授業を進める事を前提としたような内容になっています。

つまり、文部科学省が口で言ってくる要求と、実際にこちらに提供してくる教材に矛盾が生じており、それが現場教員の足枷になっているのです。

≪障壁その3:授業とは関係のない業務が多い≫

教員の大事な仕事として、もちろん「授業をする」というのがあります。そして授業には準備がつきもの。1時間の授業を通して何をどのように教えるかを事前にシミュレーションし、必要であればプリントなどの追加の教材も人数分用意するなどしているのです。これを

「教材研究」

と呼び、一定以上のレベルで授業の質を保つには教材研究は不可欠です。

以前書いた記事

Page 31:フィンランドの教員が日本より優秀って本当?

でも、授業以外の業務に時間の大半を取られ教材研究どころではない教員が多いという事も、教員1人当たりの業務の負荷が重すぎるがために心身が壊れる教員も続出しているという事も述べました。

僕が教員として実際に働き始める前、

「授業とは関係のない仕事にばかり時間を取られるのが当たり前だから、授業の準備に費やせる時間やエネルギーなんて、せいぜい全体の2~3割程度だ」

と聞いていたのですが、実際にやってみて本当にそうだと感じました。これも早急になんとかすべき深刻な問題だと思います。

 

【日本の英語教育は今後どうなっていくべきか?】

とりあえず僕の意見としては、

・年長者の教員(の特に保守派)はもうちょい若手の教員の言い分にも耳を傾けるべき
・もっとマシな教科書を使わせろ
・もっと教材研究に時間が取れるように教員の労働環境をなんとかせい

てな所でしょうか。

あとは、また最近文部科学省が「学校の英語教育と大学入試の英語を大改革する」とか言ってましたが、それが実際にどれだけ機能するかによっても状況は変わってくるかもしれないですね。

そういえば僕が英語の教員デビューしたのとちょうど同じ年に、文部科学省から「学校の英語の授業は原則英語で行うものとする」という、

「オールイングリッシュ」

の通達が出ていたのですが、あれも実際には口先ばかりで実際にはほとんど何も変わってませんでした。今回もあの時のような「名ばかり改革」にならないといいんですけどね。

とはいえ、どこの学校でも全く改革ができていないかというと、そうでもありません。

例えば中学校では、「英文を和訳するだけ」の授業が撤廃され、

・文法、読解

に加え、

・聴き取りの練習
・英語を使った会話メインのゲーム
・穴埋めのテストだけでなく英検の面接みたいな口頭テストも導入する
・英語で日記を書いてみる

などの、より実践的な内容の英語指導を取り入れるような所がけっこう出てきました。

生徒と教員の両方の質がよい中学校であれば、公立学校でもその辺の英語圏の語学学校のレッスンよりもしかしたら質がいいかもと思うほどの授業内容になっている所もあります。(←研修の「他学校見学」の時に実際に中学校の英語の授業を生で見て持った感想です)

ただし、これはあくまでレベルの高い中学校の話であって、逆にレベルの低い所だと

「そもそもABCのアルファベットがAからZまで全部まともに覚えられていない」

とかいうレベルだそうなので、こういった教育格差も放置していてよい問題ではないでしょう。(もっと教育予算よこせ)

それにしても、高校はどうなんでしょうかね。こういう改革成功の話は少なくとも僕はあんま聞いた覚えがないですね~。もっと頑張れ~、高校も。

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